小山の歴史Q&A
Q7
小山評定とは?

<小山評定跡>
A7
☆徳川氏の運命を決める重要な軍議(会議)のこと
 豊臣秀吉の死後,関東を根拠地に力をたくわえた徳川家康は,天下を治めようとしだいに勢力をのばしていった。これに対し,石田三成を中心とした勢力は,豊臣秀頼をおし立てて,家康打倒の計画を進めていた。
 家康は,会津に移った上杉景勝が反抗するとみて,1600年(慶長5)6月に5万5千の大兵力を動員して伏見城を出発し,会津征伐へ向かった。7月24日には小山に到着し,源頼朝が奥州に出陣したときに軍営をおいた例にしたがって,ここに本陣をおいた。そのとき,家康のもとに石田三成が兵を挙げたとの知らせが入り,翌日,小山の本陣において軍議(小山評定)を開いて,今後の対応について話し合った。この軍議は,本多忠勝・井伊直政ら譜代の家臣のほか,福島正則・山内一豊ら秀吉の恩顧の外様大名も参加して行われ,会津征伐を中止し,石田三成征伐のため大坂に向かうことを決めたのである。これは,まさに徳川氏の運命を決める重要な会議であったといえる。
 小山評定が開かれた場所は,現在のJR小山駅北東の結城街道沿いであったという説と,市役所付近であったという説,小山城址の中であったという説などがある。いずれにしても,小山で開かれた軍議が歴史的に重要な意味をもつことには間違いない。


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