学校の歴史

《明治》
明治6年に宝積院に勧善学舎という名前で休という所に開校しました。
創立126年になる古い学校です。
高椅分校ができ独立、梁分校ができ独立と変化がありましたが、
明治30年3月には校舎が現在地に改築され開校式が行われました。
当時の児童数は7学級で254名でした。
《大正》
大正13年には10学級538名と児童数が増えました。
《昭和》
昭和になり、昭和4年に校旗が制定され、翌5年には校歌が制定されました。
校歌は当時音楽の得意な矢口久四郎校長先生が作曲し、
作詞は、親子二代勤めた吉田寿夫教頭先生です。
現在も歌われていますが、歌詞が難しく説明が必要です。
昭和20年の児童数は14学級841名とかなり増えています。
昭和22年4月に絹村立福良小学校→桑絹村立福良小学校→桑絹町立福良小学校→
小山市立福良小学校に名前が変わり、現在にいたっています。
昭和62年に廊下のないカーペットじきのモダンな新しい校舎ができました。
《平成》
平成2年にコンピューターによる算数科の指導に取り組み、公開研究発表会をおこないました。
その後もいきいき教育活動実践推進校として、
また、高齢者福祉教育推進事業実践校として成果を発表しました。

平成28年度末に閉校し、平成29年度から、福良小・梁小・延島小・絹中の4校が1つになって、義務教育学校として生まれ変わります。