巴波川が果たしてきた役割

調べた動機

ぼくたちは、昔の巴波川はどんな川だったか調べたかったからです。

調べたこと
  • 塚田記念館に行ってげきを見て、昔の様子を調べた。(夏休み)
  • 積みかえる場所を調べた(塚田記念館・岡田記念館)
  • 江戸からにっぱという所までの道を調べた
  • 栃木からの出発地点を調べた
  • 運んだ荷物の種類を調べた

博物館の平田先生にいろいろ教えていただきました。


わかったこと

昔は綱手道と言う道を利用し逆流を上った。

日光から岡田記念館や塚田記念館付近までまで馬で運んでいた。(麻やざい木)巴波川、渡良瀬川、利根川、江戸川、というふうに通って江戸の木場まで行った。

部屋の新波(にっぱ)という所で大きな船に麻やざい木を積みかえた。

巴波川は荷物の輸送に大きな役割を果たしていた。

巴波川はよく洪水になった。そのため人柱として犠牲になった人もいた。


かめの子関の話(中地区に伝わる悲しい話)

巴波川は、中地区でもたびたび洪水を起こしたが、それをしずめるために

「人柱をたてよう」という話になり、相談の結果「一番最初に弁当を届けにきたむすめにしよう。」ということになった。一番最初にきたのは、父に早く弁当を届けようと一生けん命走ってきた庄屋のむすめ「かめこ」だった。日ごろやさしさがなかった庄屋も、このことから心を改め人々にやさしくなった。

人々は、かめこを忍んで「かめの子関」と呼ぶようになった。


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今市や日光から馬で運んできた。
麻や材木を塚田記念館あたりで舟に積みこみました。

A ここで大きな船に積み替えた
B 渡良瀬川、利根川、江戸川というふうに木場まで行きました。
   

江戸からは、日用雑貨品を運んできました。
帰りは、逆流なので綱手道を使って船頭さんたちが舟を引っ張って栃木にきました。