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アイガモ農法班
なぜアイガモ農法なのか
 私たちは、巴波川の水を昔のようにきれいにし、ホタルを呼び戻したいと思いました。昨年の5年生の研究から、ホタルがいなくなってしまった原因の一つに「農薬」があることを知りました。そこで、なるべく農薬を使わない農法を広める一環として、まずは学校の田んぼでアイガモを使った稲の無農薬栽培を行うことにしました。
アイガモがやって来た
 2003年5月9日、中小に32羽のアイガモがやってきました。でも、アイガモを飼うことはとても大変でした。土日にも学校に来て一生懸命育てたにもかかわらず、ヒナは次々に死んでいき、32羽いたヒナもとうとう6羽になってしまいました。その後7羽買い足して13羽にしました。
          来たばかりのアイガモ
 
     団子のようにかたまって寝るアイガモ
  しかし、田んぼに放した後もおたまじゃくしをのどに詰まらせたり柱にぶつかったりして、3羽も死んでしまいました。とても悲しかったです。その中の1羽の話を、さわ子ちゃんのお母さんが絵本にしてなぐさめてくれました。
 
田んぼで泳ぎ回るアイガモ
  6月に入るとアイガモは大きく成長し、羽も生えかわってきました。もう死んでしまうこともなくなりました。アイガモと一緒に稲も大きくなり、田んぼの外からはアイガモの姿が見えず、声が聞こえるだけでした。このころ、アイガモがカラスなどにおそわれないように、田んぼの上に鳥よけテープを渡しました。
           池で泳ぐアイガモ
「天使の翼」
田んぼからあげて
 7月上旬にアイガモを田んぼからあげました。この時期を過ぎるとアイガモが稲を食べるようになるからです。中小には中庭があり、そこに池もあります。なので昼間はそこに放し、夜は小屋の中に入れました。 (小屋に入れるのは、以前外で飼っていたアイガモが何かに襲われて死んでしまった経緯があるからです。)
池で泳ぐアイガモ(8月)
それからの日々
 アイガモはクローバーのような植物が大好きでした。名前はよくわかりませんが、みんなでつついて食べてしまうので、その植物はいつも根っこしか残っていませんでした。いつも10羽でがあがあ言いながらよちよちと中庭を歩き回り、草を食べ、池に戻って水浴びをし、そしてまた食べ歩く。この繰り返しでした。学校の廊下からこの様子を見ることができ、何となく心が和みました。今年の1月までこんな生活が続きました。
年明けに
 ところが、ある事件の発生で一変することになります。鳥インフルエンザの発生です。中小にも、教育委員会から連絡が入りました。「鳥を飼う場合は、その鳥が歩き回る場所を消毒し、人間もそこに出入りするときに消毒しなければならない。」しかし、そんなことは実際不可能です。アイガモをどうするかについて、すぐにクラスで討論会を開きました。みんな飼いたいのはやまやまでした。しかし、やはり教育委員会の指示に従うのは難しいので、結局アイガモ農法を教えてくださった近くの農家に引き取ってもらうことになりました。
さようなら、アイガモ。
 別れの日はとても悲しかったです。泣いた人もかなりいました。放課後、アイガモを箱に入れ、軽トラックの荷台に積みました。いよいよお別れです。思い返してみればいろいろなことがありました。ヒナの頃はすぐに死んでしまい、私たちを悲しませたものでした。12月ごろは群れの中でけんかも起きました。でも、それらはかけがえのない思い出です。今の私たちにとってせめてものなぐさめ、それは、鳥インフルエンザが発生してからたくさんの鳥が処分される中、中小のアイガモたちは専門家のもとで幸せに暮らしていける、ということだと思います。
 中小のアイガモたちに、「今までどうもありがとう。」と言ってあげたいです。
アイガモと一緒の最後の撮影 トラックの荷台に

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