地形の成り立ち

低地性扇状地と三角州

 今から5000年ほど前、縄文時代の中頃には、東京湾の海岸線が今よりもずっと内陸部まで
入り込み(縄文海進)、渡良瀬遊水地あたりまでが海(古東京湾)だったと考えられています。
 下生井小学校を改築した際に井戸を掘るために地下170mまでボーリング地質調査したとき
の断面図がを見ると、砂利、砂、粘土層が交互に重なっていることがわかります。
特に地表から約20m付近の深さのところには貝を含んだ層があり、小学校が建っている場所が
かつて海だったことが推定されます。

 足尾山地から流れ出た思川は、上流から運ばれた砂礫を堆積させながら栃木市から小山市の西部
にかけて緩やかな傾斜で低地性扇状地を形成してきました。穂積地区、寒川地区、網戸地区はこの
扇状地の扇端部に位置しており、今から50年ほど前までは井戸を掘ると被圧された伏流水が湧き
出る自噴井が多く見られたそうですが、工業化や都市化の進展に伴って大量の地下水の汲み上げや
圧力の低下で現在では見ることができません。下生井地区でもわずかですが、かつては自噴井が見
られたそうです。

 また、思川は長い間に時間をかけながら流れを変え、台地を削り大量の土砂をこの海(古東京湾)
に運び河口付近に三角州を形成してきました。下生井地区から渡良瀬遊水地にかけては、低地性扇
状地の最扇端部と砂礫の上に泥が堆積した三角州の部分と思われます。