小谷城

旧与良川堤防から城跡の遠望

城跡の東側を流れる旧思川との段差

県道に面した神社と石碑

 鎌倉時代,幕府の有力御家人であった小山氏は下野国の守護として活躍する
とともに,その一族によって各地に城や館が築かれました。
 本校の学区内では,上生井と下生井の境付近の旧思川右岸の自然堤防上に,
「小谷城」(こやじょう)が築かれました。
 今から30年ほど前までは,堀や土塁が残されていましたが,その後の耕地
整理や一般県道(南小林・松原線)のバイパス建設に伴い,ほとんど平坦地と
なり,現在は,わずかに残った城跡の一部に神社がまつられ,城跡であったこ
とを示す石碑が建っています。
 この城は,平安時代末期の保安元年(1120年)に,小谷三郎俊景によって
築かれ,久寿元年(1154年)には,下野大掾小山小四郎政光(小山氏初代)が
居住したと伝えられていますが,確実なことはわかっていません。
 南北朝時代には,網戸城主網戸重朝の子である網戸村重が生井八郎と称して
小谷城主となりました。村重は,永享12年(1440年)の結城合戦において
結城方について敗れ,城は落ち,奥州に逃れました。
 その後,この城は放置されていましたが,元亀2年(1571年)に小山城主
小山弾正少弼秀綱が再興し,大橋左京亮を城代としました。
 天正3年(1575年),小山氏が豊臣秀吉と戦って敗れた際に,小山城落城
とともに小谷城も廃城となりました。廃城後、城代だった大橋氏の子孫はこの
下生井の土地に居住するようになりました。


参考文献:生井村郷土誌(明治44年) 小山市史 史料編・中世(昭和55年 第一法規)
     下都賀郡誌(昭和9年)

旧思川

小谷城跡

下生井小

城跡の遺構配置図
「小山市史史料編中世」より

かつては,長円形の土塁が地形図にも記されていました。
国土地理院 1:25,000「古河」(昭和47年)より